ロマンの細道

日頃考えていることを日記のような意味も兼ねて徒然に書きます。

音楽を作ることについて

淵に立つ、という映画を見た。その後、監督の深田さんが受けているインタビューを読んで考えたことがあったのでここに。

 

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実は考えたことに関係することは、映画の内容とはさほど関係ない。

このインタビューの一節にある言葉だ。

 

その部分を要約する。

 

「映画はある時期まで、特権的なものだった。その理由として、まず制作するには35mmフィルムのような機材そのものに莫大な資産がかかるからだ。だから、選ばれた者のみしか作れなかった。」と。

 

これって音楽でも同じだよね、と思った。

音楽をやること自体は、映画撮影と違って、そこに楽器があればできる。

ここでいう音楽とは、録音芸術としての音楽だ。

 

誰でも家で録音ができるようになったのはつい最近の話。まして、今みたいにリアルな音源も手に入って、トラックはいくらでも重ねられて、みたいな世界は昔考えられなかっただろう。

 

敷居が下がることでより多くの人が創作に携わることができる。創作の可能性は果てしなく広がったであろう。だからこそ、先ほどあげた記事にあるように、何をするか、ということが残酷なまでに問われている。

 

最近音楽を作っていくうちに気がついてきた。

それっぽくなんてある程度の人は誰でも作ることができると。

しかも、今はいくらでもいじれるからその敷居は下がっている。

そこで一喜一憂してちゃ駄目なんだなと、思う。

 

そこそこうまくできる(うまいように聞かせる)ことって、結構当たり前にできることなのだ。

 

その先へ行かなくてはならない。

面白い時代だと思う。大変だけど。