グラフィック、図と地の強さ
亀倉雄策や松永真デザイン(なぜこの二人が代表?なのかは置いといて)の対極にあるもの、それは公務員のスライド・あるいは素人のwebタイポグラフィの画像だろうか。基本的にこういうものはすぐに埋もれる。
なんと言ってもそういうデザインを見るのは鬱になる。
鬱になるものと言ったら、個人的な感情で申し訳ないけど夕方のスーパーマーケットだとか。
全て共通するもの。情報に対する質そのもの。媒体の質そのものを忘れていること。
果たして誰が無頓着・不均等なパワーポイントの図形
に美しさや愛しさを感じるのか。
無論、公務においてそこを追求する方が非効率・非本質の気もするが。(でも、結局やる気さえ無くさないか?)
だとしたら、やっぱり日本のグラフィックを代表する60s世代の功績は偉大なものだ。
俺個人の技量としてはそのスタートラインにさえ立っていない。
でも、存在の大きさ自体はしれていることだけでもありがたいこと。
一つの紙面の中のパワーバランス、字と図のコントロール。
結局一枚の紙面の中では、力の総量は一定である。
そのパワーの相対性をいかにしてコントロールして勢い・パワーを作っていくか。
その真髄がその時代の作品に宿っている。
中途半端にイラレ性に囚われてしまうデザインは結局良くない。
もちろんその過程がなければイラレに親しめないことはよくわかるけど。
それを知っていて本当のパワーを生み出している人は大学にたくさんいるから、そういう人たちから勉強させてもらいたいと常日頃思うばかりである。