ロマンの細道

日頃考えていることを日記のような意味も兼ねて徒然に書きます。

私的音楽の聴き方②

前回の記事①からだいぶ時間を経ているけれど、ここで続きを書いてみようと思う。

近年の自分の音楽の聴き方の根底には、音楽の構造自体の分析、という名目がある。音楽はひとつの音だけで構成されていない。わかりやすいのがバンド。ボーカル、ギター、ベース、ドラムで構成されている。これはかなりの人が知っているだろう。もしくは吹奏楽、オーケストラ、弾き語り。それぞれがいくつかの音を同時に鳴らすことで、要はアンサンブルとして多彩な表情を見せる。これが、ポップスやテクノ、歌謡となると、自由多彩に足し引きして、個性的なサウンドな作られている。その構造をもっと目を凝らして鮮明に見ていこうとしているのだ。

そういうふうに聞いていると、歌詞を聞いてないことが多い。洋楽は歌詞をわからずにきいてても楽しめるけど、こういう事に近いのかもしれない。歌詞で聴いてるときとかは、その歌詞にうるっときたりする。例をあげて二つの聞き方の大きな違いを説明しよう。

最近歌詞で感動した曲がある。映画「もののけ姫」で有名な米良美一の歌う「もののけ姫」である。
この歌詞の、「悲しみと怒りに 潜む真の心を知るは」という部分。映画を劇場で見たあとであったりも下から、涙が寸前のところまでこみ上げた。これは明らかに構造を聞いて涙してるのではなく、メロディとそれを取り巻くサウンドが言葉を増幅して、心を動かしたんだと思う。ただ、言葉のみで泣いたとは言っていない。言葉とメロディ、サウンド達が混じり合った状態が「歌のメッセージ」となって届いたである。

では、それと対比して構造で聞いている場合を例に出そう。同じく映画もののけ姫のエンディングテーマ「アシタカせっ記」では、映画館の豪華な音響装置も相まって、かなり迫力のあるオーケストラサウンドが聴こえるのだが、久石譲の編曲したその曲がもたらす壮大な起伏、楽器のフレーズ同士の主旋律と副旋律、それを取り囲むミニマルなフレーズとの絡み合い、うしろから空気のように支えるストリングス、などなど、その目まぐるしい技に魅了されていたのである。

なかなか構造を聴く、という表現は難しい所ではあるけれど、かなり腑に落ちる言い方だ。この言い方をするようになったキッカケがある。それは自分の中で、影響力トップレベルともいえる編曲家によってである。その人とは、小林武史である。サザンオールスターズMr.Childrenマイラバを始めとしたプロデュース・アレンジで世の中を風靡しながらも、常になにかがいい意味で引っかかる音を創り出してきた人だ。小林武史が何かのラジオで、「自分は音楽の構造というものに興味があった」と言っていたそのままを拝借している。

ここまで書いてみて、ピンとくる人は来るだろうし、??な人もいると思う。自分もなかなかまとめることが難しく、その聴き方の周囲にある空気のような感覚にしか触れられていない感じがする。これからもっと例を引き合いに出して、その曲の構造、編曲を紐解いていく記事なども書いていきたい。