風呂で思い出したこと
さっき風呂に入って歌ってたら、ふと思い出したことがある。
それは自分が歌うことが好きだったこと。
結構当たり前のようにも思えるけど、多分数年くらいはぼんやりと忘れていた。
しっかり風呂で歌ったのは多分3.4年くらい無かったと思う。(言い過ぎか?)
そして歌いながら思った。歌うことは楽しいと。
自分が音楽をなぜここまで好きだったのかというと、多分歌うことが好きだったからだ。
振り返ると、中学時代は学校までの30分の道のりの中で歌いながら登下校していた。
小田和正やオフコース、スピッツなどを歌いながら。楽器とかサウンドとかそういうことを考えずに、ただ好きな曲を繰り返し歌いながらチャリを漕いでいた。
今考えると、結構な大声で歌っていたから通り道の人にめっちゃ聞こえてたかもしれない。
実際近所では歌ってたことが普通に知られていた(ちょい恥ずい)。
なんせ夕方にハイトーンな小田和正をのサビなんか歌ってたもんね。
とはいえ田舎なので住宅街を通り抜けるというよりかは、ゴルフ場の隙間を縫うような道だったからそこまで気にしなくてよかったというのはある。
これが杉並区みたいなところに住んでたら歌えなかっただろう。
あとは妙に小学時代の記憶で覚えてることがある。それは小4くらいの音楽の授業の時、ふと自分が大きくなっても歌がうまく歌えているといいな、と思ったことだ。この記憶と風景はずっと覚えている。なんでだろう、その時はそんなに歌うことに対して意識はなかったはずなのに。
でも、その年の市の同学年の小学校全てが集まるコンテストではクラスを代表して賞状を受け取った。多分好きだったんだろう。それが周りにも伝わってたのかも知れない。
それを確かめるように、中学校のころはカラオケに友人とよく通った。月に二、三回は通った時期もあった。その頃の休日は、PSPのオンライン対戦で誰かの家に集まるか、カラオケに行くかだった。カラオケ特有の、ドリンクバーの薄いコーラの味は今でも思い出す。
同時に、そこで自分がそれなりに歌うことが周りよりか上手くできることを知った。だからその頃から歌うことを含め音楽は大好きだった。歌う、という軸があったことでいろんな音楽を抵抗なく聞けていた面もあっただろう。その頃、音楽と歌は常に共にあった。
いつからか、音楽を聴くときの主役から、メロディーと歌詞が外れた。それは悪いことではなく、ピントが変わっていったということだろう。コードやサウンド、プレイヤーやアドリブのアプローチで音楽を聴く時期が長く続いた。
その時期は、歌うことはほとんどなかった。街中に引っ越した関係で、登下校中に歌える環境出なくなったことも大きいのかも知れない。高1の暮れからシンセサイザーを使って音楽を作ることを覚えてから今に至るまで、ずいぶん回り道をした。
そしてある程度表現として自分はどんな音楽を作ればいいのかわからなくなっていた。自分が音楽を作る必然性というものを見失っていたのかも知れない。たくさんの素晴らしい作品がすでに世に出ていて、そして自分はそれに憧れている。
だからと言って、俺が音楽を作る意味って何かわからなくなっていた今、風呂で歌ったことで思い出せた気がする。
歌うことはめちゃくちゃ楽しい。そして、そこを起点にして始まった音楽の探索は、ゴールを見失っていた。作る気を失ったと言っても過言ではない時期が続いた。もう一度原点に戻りたい。
自分自身が歌を歌う。その行為そのものに意味を見出していく。
P.S この考えに至ったのは、今日聴いた武藤彩未さんのラジオの影響もあると思う。1980s音楽をサウンドという面でなく、歌という軸において目を輝かせていたのを目の当たりにしたことは大きいかも知れないと思った。