家はこんなふうにしたい〜中途半端なもの編
中途半端なものを買う事はよしたい。
ある程度思い切った方がどう考えてもコスパが良い。
中途半端なものを買うと、いつか満足できなくなる。
あるいは、思い入れがなかったりすると、その存在を忘れて似たようなものを買ったりする。
それで長期的に見れば思い切って買った場合のコストと同じくらい>になる。
あるのは中途半端かつ、重複したものたち。なんてことになることが多い。
それよりかは、どんと買った方がいい。恋しているものを。
こんなの自分にふさわしくない、などと謙遜したくなるくらい憧れてるものがちょうどいい。
そういうものは、なかなか忘れない。
そしてそういうものに囲まれた生活の方がどう考えても楽しい。
ちょっと切り詰めてもまあ頑張れる気持ちが持てる。
惚れ惚れしない生活のために頑張るよりかは、その逆の方が頑張れるものだ。
去年、色々と思い切ることができた、
音楽のための環境を一新した。
ローンで買ったMacbookを除いても、考えられる選択肢の中ではかなりいい録音機材を購入した。
UADのオーディオインターフェースApollo twin、オーテクのAT4040
Yamahaのモニターヘッドホン。これらでかなりの値段がある。
しかし後悔はいっぺんもない。
逆に日々の積み重ねで中途半端だと思うものといえば何だろう。
一番わかりやすいものは、食事か。
高校の時、特にアルバイトもしていなかったこともあってご飯は毎回500円を越えないよう頑張っていた。
しかし、外で買うもので500円以下となると、本当に満足できるものは少ない。
逆に、800円くらい出して大好きなものを食べた方がいい。
カツカツになろうとも。
不完全燃焼だとどこかで回収しようとして、結局コスパが悪くなる。
家でご飯を作って持ってけばいいとなると話はまた別だ。
その時は考えになかったけど。
自分の手で作ることで、また別の価値が生まれるから、作ってくのはありだったな。
好きなものを探し、そのために考えたり頑張ったり。
この過程こそ、そのものの価値を決めるんじゃないかと思う。
本当に些細なことでもいい気がする。
例えば、唐突にランチパックのホイップと板チョコ入りが食べたくなったとする。
だが、最寄りのコンビニに無かった。
そんな時、他のパンで妥協するのも手だ。
しかし、時にそれが見つかるまでコンビニやスーパーを5軒回ったっていいはずだ。
そして本当に見つかってしまった時には、そのランチパックには110円以上の価値がある。
価値を勝手にあげてしまえばよい。
こんな考え方を続けるための余裕を作れるようがんばりたい。
散らかった文をここまで読んでくれた人ありがとう。