私的 音楽の聴き方①
こないだふとした機会に、自分の中での昔の音楽の聴き方の感覚を思い出した。
これを機に、これまでの自分の音楽の聴き方がどんなものかを書きたいと思う。
作編曲とか楽器に本気で取り組む前、音楽は物語を再生するような手段だった。まずボーカルという話者がいて、そこから放たれるメロディーと歌詞を背景にある伴奏が包み込むと言う様な。
より簡単に言えば、歌詞の世界に感情移入するということかな。悲しい恋の気分ならば、そういう曲を聴くし、夏のノスタルジックな風景を前にしたときはそういう曲を聴いていた。
中3の恋していた春にはユーミンの歌詞を浮かべながら川沿いを走っていたし、高校一年の冬はバンプの詞の世界の中に自分の葛藤とかを投影していた。今でも夏になると大滝詠一のロンバケみたいな恋を憧憬する。
こういう聴き方をしている時、歌とか伴奏は自分の見ている世界と溶け合って、見ている景色そのものをドラマチックに映し出す増幅器みたいな役割をしている。だから構図としては、歌+ひとかたまりの伴奏という捉え方をしていると思う。
そして云うならば、この聴き方が普遍的な音楽の楽しみ方というものでは無いだろうか。やはり家族とか友人と音楽の話をする時、注目されるのはこちらの聴き方である。
まず歌詞とメロディーを聴いて、半無意識的にそれを包み込むサウンドを受け取り、それらと自分の心象が融合されて音楽の世界を自己の中で再構築している。
以上の聴き方対して、近頃の自分は全く違う音楽の聴き方にシフトしていたのだ。もう全然フォーカスしているところが違っていた。
次の記事ではそちらについて詳しく書こうと思う。
読んでくれた方ありがとう。