かすみ
葉巻屋の角から、黒いツヤの有る車が現れた。トム・ソーヤの河のような、緑と茶入り交じる海を横に、低い空冷の気筒をふかしていく。
それで零子は、まるで喫茶店クロスの紅白のチェックをまとういでたちで、ふしめがちにその運転台を見ると、勝山という彼女の先輩であった男が乗っていた。
それで、零子のことを見るなりニタァと笑って、「今から学校か?」と言った。
「違うけど...、あなた関係ないでしょう」と冷たくあしらった。
勝山は少し黙ったあとで、「今から灯台の方へ行くんだけどよ、送ろうか?」と言った。
零子は確かに灯台の方を目指していたから、「なら、乗せていって」と答えた。
墨色のインテリアで、晴れた青の風景は、また妙にかすんだり、くんせいのように零子を取り巻き始めた。
デリンジャー
金具を必要としていた。失くしたネジを買いに、山向こうの街へ出た。
ムラサキ色の大気が、故郷の湖に溶けている。列車311号の扉が開く。
次は「方便、方便」。いつまでも忘れている次の駅の名前。
エイブラハム・リンカーンが暗殺された日の新聞を見たことがある。
使われた銃の名前は「デリンジャー」。まるで映画の中のスパイが使う秘密の暗号。
そして鳴るクジラ語の到着報。列車を捨て去るように降りる。
路傍の花、くちなし。誰かの腕時計が落ちている。
日記帳はそこで終わっていた。名前はまだ無い。
春の祭典
裏庭のフェンスをガサガサと揺らす物音に気がついたのは、もう夜も更けた頃。その日はちょうど眠れず、何度も目覚めてはまた床に沈んだ。
少し懐かしいくらいに古びた2階建てアパートの、すぐ裏はフェンスになっていて、その下は木立と崖だった。5メートル位の急斜面の下に、一段下の町が広がっていて、よく行く郵便局もそこに有った。
流石に若くて力盛りと言われる私でも、流石に身構えた。こんなことは2年という月日の中で、初めてだったからだ。
その訳あって、布団の中で5分程固まっていたが、少し無理して立ち上がってみる。
時は3:28を示していた。まだガサガサと金属の触れる音は続いている。
この部屋のすぐ裏だ!
カーテンを開ければ、その正体が見えるだろう。
そっと布に手をかけて、垣間見るとそこには。
若葉のなる木が折れて垂れ下がっていた。
それが春の嵐でカチンカチンと打ち付けているのだ。
私の脳裏には、妖精か幽霊のイメージがまるで浮かんでいた。
フェンスをトライアングルにして、これは春の祭典だったろう。
春風
いつ買ったかもう思い出せない缶詰を、手に取ってまた戻した。
この部屋を離れる。窓の外の柳が揺れているのが分かる。水色のアクリルをそのまま塗ったような空と、安っぽいアルミサッシのフレーム。
どれも光の波で反射しては輝きを放つ。
落書きのあるプリントや、眠りながら書いた、読めない文字。見たこともない本物の原生のゾウの絵と、ミクロネシア旅行の妄想。
君の写真を下さい。どちらにしろ、忘れてしまうけれど。
缶詰は、先程の水色の反射をうけて、水面みたいに揺らぐ。
その中に封じられたみずみずしさを想う。
その味はわからない。みかんだと嬉しい。
いつかそのみずみずしさの中に骨をうずめるのだ。
そして柳の木の下で。
グラフィック、図と地の強さ
亀倉雄策や松永真デザイン(なぜこの二人が代表?なのかは置いといて)の対極にあるもの、それは公務員のスライド・あるいは素人のwebタイポグラフィの画像だろうか。基本的にこういうものはすぐに埋もれる。
なんと言ってもそういうデザインを見るのは鬱になる。
鬱になるものと言ったら、個人的な感情で申し訳ないけど夕方のスーパーマーケットだとか。
全て共通するもの。情報に対する質そのもの。媒体の質そのものを忘れていること。
果たして誰が無頓着・不均等なパワーポイントの図形
に美しさや愛しさを感じるのか。
無論、公務においてそこを追求する方が非効率・非本質の気もするが。(でも、結局やる気さえ無くさないか?)
だとしたら、やっぱり日本のグラフィックを代表する60s世代の功績は偉大なものだ。
俺個人の技量としてはそのスタートラインにさえ立っていない。
でも、存在の大きさ自体はしれていることだけでもありがたいこと。
一つの紙面の中のパワーバランス、字と図のコントロール。
結局一枚の紙面の中では、力の総量は一定である。
そのパワーの相対性をいかにしてコントロールして勢い・パワーを作っていくか。
その真髄がその時代の作品に宿っている。
中途半端にイラレ性に囚われてしまうデザインは結局良くない。
もちろんその過程がなければイラレに親しめないことはよくわかるけど。
それを知っていて本当のパワーを生み出している人は大学にたくさんいるから、そういう人たちから勉強させてもらいたいと常日頃思うばかりである。
海老名・厚木感
あのあたり、一言で言えば強毒の様な世界。
大山を望みながら、大水量を誇る相模川の河岸段丘をまたぎ向かい合う二つの郊外都市。
双方に中高層建築物をもち、双方に大型商業施設を持つ。
やはり、水量が多い川は、人々を分けるのか。と思うようなほどにそれぞれの都市が独立している。こんな規模の都市が近接することって、郊外では普通なのかな?
それ見たさのためにそこに行くまではある。
小田急の中腹部、神奈川の県央って、デザイナー亀倉雄策が60年代に描いた幾何学で力強い家族社会のサラリーマン像を代表する景色だなって思う。
東京23区はちょっと強すぎてもっと現実味のない規模なんだけど、町田~相模大野~相武台〜海老名~本厚木ラインってその香りが色濃い。
だから、その競争の感覚とか、開発され尽くす感じとかがいるだけで疲れるところもあるんだけど(相模原なんかもそう)それが中毒性を帯びているんだよね。だから何回も足を運んでしまう。本当に住んでしまいそうで危険なところ。
かたわらの想いと初夏を振り返る
小林武史の1990のアルバム、テスタロッサを聞いてたらここ二年の大学生活が思い出された。
いつも初夏って良いんだよな。
夏に焦がれつつも、その焦がれそのものがすでに夏っていうね。
いつもそこに気がつかず、本当の夏が来ると暑さにやられるんですが。
小平の景色はほんっとに個人的には、一年の頃は小林武史のテスタロッサかピーターセテラとかの音楽に彩られていた。いろんな人との出会い刺激的にが目まぐるしく始まる中で、その合間合間に訪れる静かな時間も好きになっていた。
そういう、人と人との時間の合間合間、傍で流れる想いとかを歌にするのが小林武史ってうまいのよね。気づかせてくれるわけですよ。
だから、コロナ禍で誰にも会えず、散歩の愉しみを知っていく去年の初夏なんかは、青梅という近くも全く知らない未知の幻想世界を漂っている頃なんかには、面白いように現世との対比の様に感じながら自転車を走らせていた。
あの初夏の字めったさと、知らない土地の焦燥はもう味わえないだろう。
知識や認識を持つことってすごく勿体無いことでもあるな。
同じように二年前、友人に連れられて初めて車で群馬・伊香保に行った時に見た霧で囲まれた天上の街の思い出なんかが強烈に音楽に染み付いてるわけで、結局コロナ禍の秋はそういう音楽ばかり聴いていた。人文地理・もっと言えば、生活の人と人の傍で流れる想いの音楽。自分はかたわらの想い的に地理を見ている。
おもしろくないですか。山を避けて街を作り、夜になるとそこに光が灯ってその形があらわになる、、。それが地平線を彩っていて、それぞれに名前がついているんですよ。観音山、根の権現・日高・新宿とかいうふうに。
だから山で孤独を感じることはあまりないし、むしろ街で遠くに鎮座する山の稜線を見て何か愛しさを感じてしまう。
そういう、土地土地に刻み込まれた想いの形の形跡を見て回るわけです。前橋や高崎なんかは、東京ほど代謝が早くないから、商業施設や案内なんかも古い書体を使ってる。だからそういう蓄積が見えやすいから好きなんだな。
こないだ行った羽生なんかもそうだね。
実はタイポグラフィが好きな理由もそこにある。かたわらの想いの表出として使われる文字というメディアはその役割を担う主体であるから、時代時代のそれを感じ取りやすい。
結局音楽も地理もデザインも俺はそういう視点で見ているから、それを学べば学ぶほど全てに生かされてくる。これほど楽しい時間はない。